2023年11月4日 |
別れ |
まだ50歳。
30年前、当時新しくできた国分寺街道沿いの居酒屋に立ち寄り二人で乾杯したのがはじまりでしたね。毎週末は飲み歩き仲間もそこから増えていき一緒に働いていた5、6年はそれが楽しくて当時の仕事にも励みました、仕事や生活環境が変わった後も回数こそ減ったものの、何かと理由をつけては乾杯していましたね。若さ故の身勝手で気ままな私のフォローをしてくれる、年下のくせに私よりしっかり者。大病を患っても臆することなく鼻に酸素吸引のチューブを付け酸素ボンベを引きずり、息を切らせながら国分寺で飲み歩いたこともありました。一時は死をも覚悟した泰然自若な振舞いに私は尊敬の念を強くしました、その大病も見事克服し歓喜の祝杯もあげました。最近こそコロナの影響で集まる事は憚れ顔を合わせることはできませんでしたが、たまのLINEから日々変わりのない暮らしを思わせる内容で、そろそろ集まれるタイミングかと見計らっていたのに。 突然の訃報に感情だけが揺り動かされ、あなたの死を理解できないまま通夜に向かった昨夜。そのちょっと前まで苦境を知る仲間はおらず、晩夏よりご家族と共に戦っていた事を知りました。本当に水臭いやつだ。 あぁ、もう乾杯できないのかと考えるだけで込み上げてくるものを抑えることができなくなります。この現実を消化するには時間がかかりそうです、残った仲間が集まってもしばらくの間はあなたの話ばかりになるでしょう。でも、そうやって少しずつ受け入れていくのかもしれませんね、つらいけど。 敬愛する、よっさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます、献杯! |